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【歴史編】沖縄の陶器「やちむん」の歩み|琉球王国から読谷村・現代への道のり

沖縄の暮らしに欠かせない陶器「やちむん」。その力強くも温かい表情の裏側には、幾多の困難を乗り越えてきた深い歴史があります。

なぜ沖縄でこれほどまでに陶芸が発展したのか。琉球王国時代から現代の「やちむんの里」誕生まで、そのドラマチックな変遷をご紹介します。

1. やちむんの起源:大交易時代と「南蛮焼き」
沖縄の陶器(やちむん)の歴史は、14世紀〜16世紀の琉球王国時代にさかのぼります。
当時の琉球は、中国や東南アジア諸国と活発に貿易を行う「大交易時代」の真っ只中でした。

この交流を通じて、海外から多くの陶磁器や技術が流入。特に東南アジアから伝わった「南蛮焼き(なんばんやき)」**の技法は、後の沖縄の焼き物文化に多大な影響を与え、独自の進化を遂げるきっかけとなりました。

2. 壺屋焼(つぼややき)の誕生と集約
1682年、琉球王府の政策により、県内各地に点在していた窯場が那覇市の「壺屋(つぼや)」に集められました。これが、現在も沖縄陶器の代名詞として知られる「壺屋焼」の始まりです。

壺屋が選ばれたのには理由があります。

王府がある首里城に近いこと

川を利用して資材や商品の運搬がしやすかったこと
この地を中心に、やちむんは沖縄の主要な産業として花開きました。

豆知識:2つの種類
当時のやちむんは、庶民向けの「荒焼(アラヤチ)」と、上流階級向けの装飾的な「上焼(ジョーヤチ)」に分かれて発展していきました。

【やちむんとは?】
https://made-in-okinawa.shop/news/69a65e24212a4079245720ba

3. 実用から芸術へ:民藝運動による再評価
明治時代以降、安価な大量生産品が流入し、やちむんは一度存続の危機に陥ります。
その窮地を救ったのが、昭和初期に起こった「民藝(みんげい)運動」**でした。

柳宗悦や浜田庄司といった思想家たちが沖縄を訪れ、「名もなき職人が作る日常の器にこそ、真の美しさがある」と、沖縄の陶器の価値を世界に発信したのです。

この流れの中で、後に人間国宝となる金城次郎氏ら名工たちが台頭し、やちむんは「実用的な道具」から「芸術的な工芸品」として、全国的に注目されるようになりました。

4. 読谷村(よみたんそん)への移転と「やちむんの里」
戦後、那覇の都市化が進む中で、薪を焚く「登り窯」から出る煙が公害問題として取り沙汰されるようになります。

「伝統的な登り窯を守りたい」という職人たちの想いに手を差し伸べたのが、読谷村でした。
1970年代、金城次郎氏をはじめとする多くの陶工たちが読谷村へ移住し、現在の**「やちむんの里」が形成されました。これにより、読谷村は那覇の壺屋と並ぶ沖縄陶器の聖地となったのです。

現代のやちむん:受け継がれる伝統と新しい感性
現在のやちむんは、伝統的な技法を守り抜く工房もあれば、現代のライフスタイルに合わせたモダンなデザインに挑戦する若手作家も増えています。

長い歴史の中で、時代に合わせて姿を変えながらも、「沖縄の土と炎で作り上げる」という本質は変わりません。歴史を知ることで、手元にある器がより一層愛おしく感じられるはずです。

“”初めて登り窯を目の当たりにした時、その歴史の重みと職人の魂が宿る空間に、深く感動したことを覚えています。当店の器ひとつひとつに刻まれたこの『物語』と『想い』を、大切に次世代へと繋いでいきたい。それが私たちの願いです。“”

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